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札幌高等裁判所 昭和43年(ネ)334号 判決

控訴人 松田一郎

右訴訟代理人弁護士 杉之原舜一

被控訴人 金井秀二郎

〈ほか一名〉

右両名訴訟代理人弁護士 岩沢誠

同 能登要

右岩沢誠の訴訟復代理人弁護士 高田照市

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は、控訴人の負担とする。

事実

一  控訴代理人は、「原判決を取り消す。被控訴人金井秀二郎は控訴人に対し、原判決別紙目録記載の建物を明け渡し、かつ昭和四〇年九月一日から右明渡ずみまで一か月金四万五、〇〇〇円の割合による金員を支払え。被控訴人河端寅松は控訴人に対し、右目録記載の建物のうちその二階部分を明け渡せ。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。」との判決並びに仮執行宣言を求め、被控訴代理人は、主文第一項同旨の判決を求めた。

当事者双方の主張、証拠の提出、援用、認否は、次に付加するほか、原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する。

二  被控訴代理人は、原判決三枚目表九行目から一一行目までに記載された転借の抗弁を撤回するとのべた。

これに対し、控訴代理人は次のとおりのべた。

右転借の主張は、控訴人が原審第一回口頭弁論期日にこれをしたものであるが、被控訴人らは同弁論期日または第二回口頭弁論期日にこれを自白した。その後、被控訴人らは右自白を撤回したことがあったが、当審第四回口頭弁論期日にこの事実を自白することを明らかにした。しかるに、被控訴人らがさらに右自白を撤回したのであるが、この自白の撤回については異議がある。

三  控訴代理人は、次のとおりのべた。

(一)  被控訴人金井は、原判決別紙目録記載の建物(以下本件建物という。)を、訴外札幌モーター販売株式会社(以下訴外会社という。)から転借して転借権設定登記をしていたが、合意解約を原因として右登記の抹消登記手続をした。このように、本件建物の占有権原である転借権の消滅を公示した以上、占有権原が消滅せずに継続しているということを、第三者である控訴人に対抗することはできない。

(二)  かりに被控訴人金井が、訴外会社から本件建物の賃借権の譲渡をうけたとしても、同被控訴人は、控訴人に対し、虚偽表示の規定により、譲受賃借権に基づく対抗力を主張できない。

(1)  被控訴人金井と訴外会社は、通謀して、転借権設定およびその合意解約という虚偽の意思表示を登記によって表示した。控訴人は、被控訴人金井の本件建物の従前の占有権原は転借権であり、かつ、その占有権原は合意解約により消滅したと信じて本件建物の所有権を取得した。そうすると被控訴人金井は、虚偽表示が無効であることを、善意の第三者である控訴人に対抗できない。

(2)  被控訴人金井は、訴外天野実と通謀して、昭和三五年七月七日にあらたに本件建物の賃貸借契約を締結したむねの虚偽の意思表示を、同年同月一八日受付の登記で表示した。控訴人は、被控訴人金井のあらたな占有権原は訴外天野との間に新しく設定された賃借権であると信じて本件建物の所有権を取得した。そうすると、被控訴人金井は、本件建物の占有権原が昭和三三年ごろ訴外会社から譲り受けた賃借権であることを、善意の第三者である控訴人に対抗できない。

四  被控訴代理人は次のとおりのべた。

右三、(一)、(二)の各主張事実は争う。訴外会社、被控訴人金井間の転借権設定登記およびその抹消登記、さらに訴外天野、被控訴人金井間の新賃借権設定登記は、たしかに、いずれもその原因となる権利変動を欠いている。しかし、転借権解約および新賃借権設定の各登記は、転借権登記に表示された五年の期間が昭和三五年七月五日で更新される機会に、被控訴人金井が本件建物を転借権でなく(譲受)賃借権に基づいて占有しているという実体に符合させるためにしたにすぎないものであって、同被控訴人の占有権原がいったん消滅したことを表示したものではない。

五  ≪証拠関係省略≫

理由

一  本件建物がもと訴外天野実の所有であったこと、控訴人が昭和三五年四月八日、訴外天野産業株式会社に対する債権を被担保債権として訴外天野実から根抵当権の設定をうけ、同日そのむねの登記がなされたこと、その後控訴人は右根抵当権に基づき本件建物の任意競売を申し立て、昭和四〇年七月二七日にこれを競落し、同年八月二〇日に所有権移転登記をうけたこと、さらに、被控訴人金井が本件建物全部を、同河端がその二階部分を占有していることは、当事者間に争いがない。

二  ≪証拠省略≫によると次の事実が認められる。

昭和三〇月七月ごろ、訴外札幌モーター販売株式会社は、訴外天野実から本件建物を賃借し、その引渡をうけた。昭和三三年五月末ごろ、被控訴人金井は、訴外会社に対する債権の代物弁済として什器備品とともに右賃借権を訴外天野の承諾のもとに譲り受けた。訴外会社は本件建物を被控訴人金井に引き渡すのと同時に他に転居して賃貸借契約から完全に脱退し、それ以来、同被控訴人が本件建物を占有使用している。

以上のとおりであって、この認定を左右するに足る証拠はない。

ところで被控訴人らは、当審において転借の主張を撤回した。控訴人はこれを自白の撤回であると主張する。しかし、本件記録によると、控訴人の本訴請求は所有権に基づく本件建物の明渡請求であることが明らかであるから、転借ないし賃借権譲受の主張は、被控訴人らが本件建物を正当に占有することを理由あらしめる抗弁に属する事項であり、被控訴人らが、自己が主張責任を負う抗弁を撤回したからといって、自白の撤回にはあたらない。

三  次いで、合意解約の主張について判断する。

転貸借の合意解約の主張は、転借権の主張が撤回されたので、その前提を欠くこととなり、判断の必要がない。そこで譲受賃借権の合意解約の主張について判断する。昭和三〇年九月九日付で訴外会社、訴外天野間の賃借権設定登記がなされ、昭和三三年一〇月一五日付で被控訴人金井、訴外会社間の転借権設定登記がなされていたところ、昭和三五年八月一日付で同年七月五日の合意解約を原因とする右各登記の抹消登記がなされていることは当事者間に争いがない。これによれば被控訴人金井は、譲受賃借権を転借権の登記によって公示し、右の二つの抹消登記によって、訴外天野と賃借権の合意解約をしたことを表示したと解されなくはない。しかし、≪証拠省略≫を合わせると、次の事実が認められる。

被控訴人金井は、訴外天野から賃借権の譲渡をうけた際、訴外会社代表者訴外松田賢一、訴外天野と相談してこれを登記することとしたが、特別の理由もなく転借の登記手続をした。ところが、昭和三五年七月ごろになって、登記簿上、転借権の基礎となる訴外会社、訴外天野間の賃貸借契約が、同月五日に期間満了することになっていたが、すでに訴外会社は賃借権譲渡の際完全に賃貸借関係から脱退していたので、形式的に期間更新の登記をすることをせず、被控訴人金井が訴外天野から直接本件建物を賃借している実体を公示しようとして、同月一八日受付の賃借権設定登記手続をした。そうすると、従前の訴外会社、訴外天野間の賃借権設定登記および訴外会社、被控訴人金井間の転借の登記は不要となるので同年八月一日受付の各抹消登記手続をした。したがって、訴外天野と被控訴人金井との間に合意解約はなされず、従来のまま賃借権関係が継続した。以上のとおり認められ、他に右合意解約の事実を認めるに足る証拠もなく、控訴人の右主張は採用できない。

四  ところで、被控訴人金井は、右賃借権の登記をもって控訴人に対抗できないことは、いうまでもない。すなわち、本件建物については前記のとおり、昭和三五年四月八日に控訴人に対する根抵当権設定登記がなされ、その後の同年七月一八日に右賃借権設定登記がなされているのであるから、被控訴人金井は本件建物の競落人である控訴人に対し、登記による右賃借権の対抗力を主張できないといわざるを得ない。(なお、≪証拠省略≫により、右賃借権設定登記は、競落登記と同時に抹消されていることが認められる。)

五  そこで、本件建物の引渡による対抗力の存否について判断する。

まず、転借を前提とする控訴人の主張(本判決事実摘示三、(一))は判断する必要がない。そこで、賃借権譲渡を前提とする虚偽表示の主張について判断する。

前記のとおり、訴外天野、訴外会社間の賃借権設定登記および訴外会社、被控訴人金井間の転借権設定登記が昭和三五年八月一日付で合意解約を原因として抹消されている。しかし、このことが、ただちに被控訴人金井の譲受賃借権の借家法にもとづく対抗要件である引渡ないし占有の消滅を公示するものといえないことはいうまでもない。かえって、前認定のとおり、被控訴人金井の本件建物の占有状態は従前とまったく変りがなく、右抹消登記は、新賃借権の設定登記によって不要となった転借権の登記を抹消する目的でしたにすぎないのであるが、さらに登記簿をみると、右抹消登記の直前の昭和三五年七月一八日すでに訴外天野と被控訴人金井との間に新賃借権設定登記がなされているのであるから、登記簿を一見しただけでも、被控訴人金井が正当な権原にもとづいて本件建物の占有を継続していることはたやすく推測できたところである。要するに、被控訴人金井の賃借権の対抗要件である占有が消滅したことを窺わせるような事情はなく、むしろ占有の継続を推認させる有力な事情が存在していたといえる。のみならず、原審における控訴本人尋問の結果の一部、ことに本件建物の競落直前に登記簿を見たむねの供述部分に弁論の全趣旨を合わせると、控訴人は、被控訴人金井の占有が抵当権設定登記前から変りなく継続していたことを知っていたことさえ窺われる。

また、前記のとおり、登記簿上、昭和三五年七月一八日付で訴外天野、被控訴人間の新賃借権設定登記がなされているが、すでに昭和三三年五月末に被控訴人金井が本件建物の引渡を受けたことによる対抗力が生じており、右設定登記によって引渡およびその後継続した占有による対抗力の一時消滅を表示したものではなく、控訴人もこのことを知っていたと窺われること前認定のところから明らかである。

結局、控訴人の二つの虚偽表示の主張は、右のような登記簿の記載が、被控訴人金井の本件建物の占有の対抗力を失わしめるものでないから、いずれも採用できない。

六  ところで、控訴人は、さらに、建物賃借権の公示方法として登記を選んだ以上、その後の権利変動はすべて登記の方法によるべきで、取引関係に入る第三者は登記のみを信頼すればよく、本件についていえば、合意解約の登記を信頼して本件建物を競落した控訴人に対しては、被控訴人金井は引渡によっては対抗できないむね主張する。しかし、この主張は採用できないと判断する。

建物賃借権について、引渡と登記という二つの対抗要件が競合した場合に、登記による対抗力を優先せしめ、引渡による対抗力を主張できないものとする考え方は、立法論としては、十分考慮すべきものであるが、現行法の解釈として右の考え方を容れることはできない。借家法に、引渡が、登記と優劣のない独立の対抗要件として定められている以上、取引関係に入る第三者としては、登記簿の記載だけでなく、引渡およびその後の占有をも調査しておくことが要請されることはやむをえない。のみならず、本件では、登記簿の表示自体からも、被控訴人金井の賃借権の対抗要件としての占有が、控訴人が抵当権設定登記をうける以前から継続していることをたやすく推測できたし、控訴人がこのことを知っていたと窺われること前認定のとおりであるから、登記の記載を信頼した控訴人を保護すべきであるという控訴人の前記主張を採用することはできない。

七  そうすると、被控訴人金井は、控訴人の抵当権設定登記前に本件建物の引渡をうけて訴外天野に対する賃借権を取得し、その後占有を継続していたから、右賃借権をもって、本件建物の競落人である控訴人に対抗できることとなる。したがって、その余の点について判断するまでもなく、控訴人の同被控訴人に対する本件建物の明渡請求は理由がない。

また、被控訴人河端が、被控訴人金井の使用人として本件建物の二階部分を占有していることは当事者間に争いがない。そして、被控訴人金井は本件建物を正当に占有する権原を有するから、その権原を基礎に右部分を占有する被控訴人河端に対しても、控訴人は、その明渡を請求しうるいわれはない。

被控訴人金井に対する、明渡義務を前提とする損害金の請求も理由がないこと当然である。

八  以上のとおりであって、控訴人の本訴請求はすべて失当で、これを排斥した原判決は相当であり、本件控訴は理由がないからこれを棄却することとし、控訴費用について民事訴訟法第九五条、第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 原田一隆 裁判官 神田鉱三 岨野悌介)

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